進化と次元と禁忌犯しゃ82・6%賭け 【 序 章 】 ヒ ・ フ ・ ミ ・ ヨ ・ イ ツ ・ ム ウ ・ ナ ナ ・ ヤ ・ コ コ ・ ト ウ (2)

 トウヒたちは疑念を覚えつつも感覚質の導きに従い、廊下を左折して南校舎へと侵入する。曲がったすぐそこは配膳室だ。学園祭期間中は給食がなかったし、飲食店等のイベント場所としても採用されなかったため、現在ここは使用されておらず室内にも人気はない。
 配膳室は問題なかった。冷気が漏れているのはその隣だ。ふたりは罠が仕掛けられていやしないかと、冷気のもとを慎重にのぞきこむ。
 配膳室の隣は食糧貯蔵用の冷凍室だった。普通の教室ひとつ分くらいはある大きさのもので、フロントに予冷室を備える結構立派で割と一般的な三次元冷凍庫だ。その一番外側の防温扉が半分くらい開いている。トウヒもシャコもここの冷凍庫を初めて見るのだが、通常開いてはいけないはずのものが開いているとしか思えなかった。冷気はそこから漏れ続けており、少し蒸し暑くなりはじめの季節にとっては心地よい空気を送り続けていた。エアコンならいざ知らず、ここは冷凍庫なのだから、この事態はどう考えても不自然だ。
「にいさま、ひとが倒れております。ほら、あそこに」
 トウヒの背中でシャコが叫んだ。と同時に彼女はスカートのポケットから鳥のアクセサリを七個装着したスマホを取りにくそうに引きずりだし、細い指でパネル操作を開始する。
「いま照会中なのですが……たぶん、あのひとが探していたユウちゃんの付き人さんだと思います」
 シャコのたれた糸目が、手元のスマホと目前の予冷室を交互に見ている。
 開閉途中の扉越しから調査するのではなく、予冷室に踏みこんでみる必要があると考えたトウヒは、半開きの防温扉に両手をかけ、全開にした。
 ひゅうっと極大の冷気がふたりを襲う。鳥肌が立ち、うぶ毛が逆立ったのは一瞬のこと。漏れ出でる冷気に長い時間さらされていた兄妹は、既に寒さに慣れていたので大事はない。しかしながらも心配性の兄は、いつものように妹を気遣う。
「シャコ、大丈夫? 冷たくない?」
「はい、にいさま。問題ありません。シャコのことよりも付き人さんの救出を優先してくださいまし。照合の結果、本人に間違いありません」
 予冷庫には探し人が倒れていた。
 十三歳女性、身長百五十五センチメートルでぽっちゃり体型、丸顔にツインテール、べっこうメガネにヘッドホン。タートルネックの白いセーターに、ボンディング加工されたストレートパンツ。その容姿は事前に見せられていた資料と完全に一致する。六月にしてはかなり異常な耐寒装備は、普遍的な感覚の持ち主では選択しえないありえない服装だし、シャコのお墨付きもあるのだから、この少女がヒムロユウの付き人本人なのだろう。そうトウヒは判断した。
 防冷扉下部の段差を飛び越えて予冷室に突入した彼は、未だに冷気を吐き続ける本冷凍室の半開きの扉を閉めてから、倒れている少女に近よった。
「ねえ、大丈夫? 意識あるの? ねえ、君」
 トウヒが声を掛けても少女は微動だにしない。発見が遅すぎて手遅れになってしまったのかと焦る彼の背中から、二本の腕が伸びて少女の頬をパンパンとはたいた。少女は意識を取り戻したのか、ううっと唸る。二本の腕は成果に満足したが、さらなる追い打ちをかけるべく、曇ったべっこうメガネを外して、未だつむり続ける目を無理矢理こじ開けた。
 瞳孔は開いていない。
「にいさま、付き人さんは生きています」
「そのようだね。でもシャコのやり方はちょっと乱暴なんじゃないかな。ぼくとしてはあんまり感心できないよ。もうちょっと女の子らしく、おしとやかにできないのかなあ」
「にいさまがおやさしすぎるのです。そのやさしさはシャコだけに向けられるべきものであって、ほかの女の子にはほどほどに発揮してくださいまし」シャコは揺るぎのない信念を込めて主張する。「あっ、にいさま。付き人さん、気がつかれたようです」
 べっこうメガネにヘッドホン、タートルネックのセーターに身を包んだ少女の意識が戻ったようだが、まだもうろうとしている状態だ。意味のわからないうわごとばかり呟いている。
 トウヒとシャコがいくら言葉をかけても叩いても的確な反応が返ってこない。くちびるは依然くすんだ紫で肌も相当血色が悪い。救難員は事態を重んじ、彼女を可及的速やかに医務室に連れていくことにした。

「はい、トトシャケ2」
『こちら、トトシャケ1。どうなの? お医者さんに診てもらわきゃならない容態なのかしら?』
「一応念のためにそうしようかと。いまは意識もしっかりしてるし健康状態も問題ないんだけどね。あとでなにかあったら怖いからってヒムロユウのマネージャーさんが話してた。ぼくもそれが正解だと思う」
『良かった。それじゃあこれでトトシャケの任務は無事終了ね。ごくろうさまでした。トウくんもシャコちゃんもおつかれさん。島に帰ってきたら、ふたりにはごちそう振るまったげるから期待しててね。ところで帰りのシーシャトルのチケットは、予定通りに取っといていいのかしら? 病院まで付添うわけじゃないんでしょ?』
「あーそれなんですけど、トリ姉。たぶんチケット要らない」
『えっ? どうしたのよ、トウくん。そっちにずっといるつもりなの?』
「いや、そうじゃなくってさ。ヒムロユウが休暇と写真集撮影を兼ねてね。うちの島に来るんだって」
『えええええええー。マジで?』
「うん。マジもマジ。大マジ。本人はあとからチューブで来るんだけどさ。スタッフと撮影機器を海上ルートで先行させるんだって。それでね。今回は撮影よりも息抜き的リゾートこそが重要らしくってさ。スケジュールとか公表しないお忍び休暇らしい。スタッフもヒムロユウが気を遣わなくて済むようにとの配慮で、年の近いアイドル見習い兼付き人の一名だけ。その代わり撮影機器はそれだけで大規模撮影スタッフに匹敵する最新機器を使うっぽい。で、本題なんだけどさ。マネージャーさんから、『雷山小過に帰るんだったら、その付き人と一緒に行動してくれないか』って依頼がぼくたちトトシャケに対して来たんだ。費用はもちろん向こう持ち。詳細はメールで送信するって言ってたから、トリノさんそれ読んでどうするか決めて返信しといて。ぼくとシャコはかなり乗り気なんだけど」
『へぇ、ラッキーな話じゃない。山天大畜学園自治会さんは、寮を提供してくれたりとか滞在費は都合してくれたけど、旅費はこっち持ちだったからね。助かっちゃったよね。あれっ? あれっ? ねえねえトウくん。ひょっとしてその一緒にこっちに来る予定の付き人ってのは、今回トウくんたちが助けた人なの?』
「うん。トトリベトバコさん。いまから病院行って問題なければの話だけどね」
『ふーん。なるほどねぇ。楽しい旅になるといいね。ふーん。ふーん。それじゃあ、おねーさんはケイジロウと一緒に帰ってくるの待ってる。じゃあね』
「じゃあまた」
「にいさま、トリノさんはなんと仰っていましたか?」
 電磁気力による三次元通信を終えた兄に対して、シャコがすかさず質問を投げつけた。
 トウヒは妹のせっかちさに呆れながらも、通話内容の一部始終を説明する。
 シャコはそれはきっとイエスでしょうと安心して、医務室のベッド脇の丸椅子ごと、くるくる回った。
 トウヒはそんな妹を微笑ましく見つめたあと、ベッドの上で半身を起こしてお茶をすすっていたヒムロユウの付き人、トトリベトバコに視線を移した。ちょうど向こうの視線もシャコからトウヒに移ってきたところだったので、奇しくも目が合ってしまう。丸顔のトバコは瞳もまんまるでかなり大きかった。シャコの糸目を見慣れていたトウヒには、それがより大きく見えてしまう。気圧される気分と、なんとなくの気まずさを感じながら、彼は口を開く。
「たぶん一緒に帰れると思うけどさ。これで良かったの?」
「はい。そのほうがあたしは安心できますから。ふつつかものですけど、よろしくお願いします」
「いや、こちらこそ道中よろしくお願いします。それにしても中学生なのに学業とお仕事の両立って大変でしょ。アイドル見習いだから、勉強のために付き人してるってのは、まあわからないでもないんだけどさ。今回はそれプラス撮影もこなさなきゃならないんでしょ? 業界のことはよくわからないから言い過ぎなのかも知れないけどさ。ちょっとひどくない? ぼくからしたら、とてもじゃないけど、ひとりの仕事とは思えないんだよね」
「んーそれはきっと大丈夫なんじゃないでしょうか。ユウさまは中学三年生ですけど、事務所の仕事を一部受け持ったりと、あたし以上に多彩な職務を全うしてますんで文句言えません」トバコが笑う。「あたしってば才能に恵まれてるわけじゃないし、頑張るしか認めてもらえないですし、撮影も頑張らなきゃですです。それにほら、キュウニィも一緒ですから。あっ、五次元自走式撮影器のことなんですけどね。頼りになる相棒なんです。彼は本当にいい写真撮ってくれますよ。ですから仕事のことは大丈夫です。あたしやります。ですので道中話し相手になってもらえれば、あたしはそれで満足かなあ。それ以外は望みませんよ」トバコは夢想する。「あっ、話してたら旅の風景が頭に浮かんできました。きゃは。なんだかとっても楽しみですです。雷山小過ってば、いいところなんですよね?」
「いいところだよ。田舎だけどね。喧騒とは無縁の静かなところだから、落ち着けると思う。風光明媚で自然が豊かなのもいいんだよね。風鈴草が生い茂り、金襴双樹きんらんそうじゅがそびえ立ち、ヨロイナマケモノたちがぶら下がる。島の守護鳥である神鳥・水天需すいてんじゅがつがいで飛びまわってるし、匠の技の調停を引き受ける人形が鎮座されている多次元塔・天水訟てんすいしょうはまごうことなき名所だよ。そういえば写真集のための撮影だったよね。狭いながらも被写体には事欠かないんじゃないのかな。でもアイドルの写真集ってことは求める絵が違うのかなあ。だったら思いどおりの写真が撮れるかどうかは保証しないけどね」
 トウヒは着いたら案内してあげるとトバコに約束した。シャコも好意的だ。
 説明を聞くにつれ、だんだん安堵の表情を浮かべていくトバコに対して、トウヒは細い目で笑いかける。そして両手を大きく広げて歓迎の意を示す。
「六次元と二次元に一番近い島へ、ようこそだね」