進化と次元と禁忌犯しゃ82・6%賭け 【第四章】六次元と二次元に一番近い島(2)

 というわけでまずは洗濯だ。トウヒは修正されたスケジュールを粛々とこなし始める。
 港に入れないと決まってから、今日は一日もふもふカービングに徹すると決めたシャコの洗濯物も一緒にランドリーバスケットに突っ込んで、トウヒは洗濯室へとやってきた。
 洗濯室は乾燥室より少し広い三坪ほどの大きさで、ところどころ注意書きが貼られた、水色の格子のタイルの壁に三方を囲まれた、いたって普通で退屈で殺風景な部屋だ。
 先客は居なかった。でも洗濯機の回る音は聞こえてくる。
 四次元震動感知型ジャイロセンサーで、三次元回転と四次元回転を切りかえるハイブリッドタイプの比較的大きな洗濯機が六台、部屋の左側に一列になって並んでいたが、空いているのは一番奥の一台だけだったので、トウヒはそこに兄妹の下着から何から一切合切、放り込み、使い切りの洗剤を投入して洗濯を開始した。
 最新式とは言い難いが、船の割には新型の洗濯機であることに間違いはない。これなら舞によってこびりついた四次元塵も、綺麗に落ちるだろうとトウヒは安心する。
 さて問題のユウユウユウキューブだ。ここに至るまでトウヒはいろいろと対抗策を考えており、とりあえずひとつの結論に達していた。押したり引いたりあまねく手段を講じてだめだったのだ。思いついたことは全部試した。もう何をやってもだめだったのだ。そこまでやったのにどうにもならない状況から抜け出せられなかったから、このゲームを返そうとしたわけだし、基本何をしてもおそらくだめなのだろう。ならできることはひとつだ。
 放置する。
 トウヒは決断した。通常のリアルタイムモードからスキップモードに切りかえて、時間を進めまくってみる。そしてさらに現実世界でも放置。
 こうやって自分の頭も冷やせば上手くいくんじゃないかなとトウヒは考えていた。人間の感情や記憶は時間とともに薄まっていくものだ。人の手に負えないネガティブなものは時間が解決してくれることに期待して、時流に身を委ねるしかないだろう。これがトウヒの下した逆転への一縷の望みを託したささやかな作戦であった。そしてそれでもだめだったとき、トウヒは最後の禁断の作戦を用意していた。普段は強力すぎて使用を制限されている、囃し手ミイケダイトリノ×舞い手スズキトウヒによる舞、『人間関係の距離の調整』だ。トリノはトウヒに甘いので、頼み込めば勝算ありとトウヒは踏んでいる。通常の人間関係には意地でも舞いたくないという気持ちが彼の中にはあったが、逆にゲームということで使いやすい部分もある。現実世界で人を殴れば問題だが、ゲームの中でいくら人を殴ったところで警察に捕まるわけでもなく、社会的に糾弾もされない。トウヒは自分勝手な論理を頭の中で構築し、己のチート行為を自己防衛するのだった。
 次は乾燥室だ。ひょっとしたらトバコの体調が良くなって部屋に戻っているかも知れないな、と思ってはいたのだが、その予想が当たってしまう。
 乾燥室には誰も居なかった。
 トバコが寄りそうな他の場所を探してみようか、それとも直接部屋に行ってみようか、はたまたシャコのもふもふカービング制作現場を見に行こうかとトウヒが思案していたとき、『にいさまお電話です』と着信音が鳴った。液晶画面を見るとトリノからである。
「はい、トトシャケ2」
『こちら、トトシャケ1。ってかトウくん。今は作戦実行中じゃないから普通に出てよ。あのねあのね。もうすぐ港に入れるわよ。せっかくだから、おねーさんが迎えに行ったげるね』
「え? え? トリ姉さ。それマジなの?」
『おねーさんの言うことを信じなさいな』
「いや、信じたいんだけどさ。にわかには信じがたい話なんですけど」
『まあトウくんたちの日頃の行いが良かったってことなんじゃないのかなあ。神さまはちゃんと見ててくれてたんだよ。それじゃあ船着き場で逢いましょう。じゃあね』
 半信半疑なトウヒだったが、現実はトリノの言葉通りに事が運び、彼はこの一時間後に雷山小過の土を踏んでいることになる。
 あれだけ湧いていた平面カニがすべて消息をくらませてしまったのだ。女王カニはなんと気まぐれなのだろう、トウヒはそう思わざるを得なかった。

「おつかれさまー」
 きらきら瞳を輝かせて、ポニーテールをなびかせて、雷山小過学園指定のブレザーの制服姿の少女が両手を広げて走ってくる。
 目指すは簡素な屋根と簡易な壁で作られた粗末な船着き場だ。本当はもっと早くに到着して、トウヒたちを待っていようと目論んでいたトリノだったが、ここに来る途中で諸事情により遅れてしまったため、待ち伏せ工作は叶わぬ願いと相成ってしまっていた。
 彼女が走り出してしまったのは、丘陵部からトウヒたちが下船するところを見つけてしまったからだ。船着き場に続く砂利道の、小さな石を蹴散らして、トリノが懸命に駆けてくる。改札口をくぐり抜けたばかりのトウヒに向かって、一直線に駆けてくる。
 狙われたトウヒは接触直前で、少女のアタックを見切って躱した。
 少女の両手は空を切り、勢いあまって前につんのめってしまう。
 地面に倒れるその前に、トウヒに続いて改札口を通過したシャコが適切に反応し、彼女の体重を受けとめたため、惨事は寸前のところで免れた。
「大丈夫でしたか? トリノさん。それにしてもおひさしぶりです。こう、おさななじみの顔を見るにつけ、やはりシャコは内地より雷山小過が好きなのだなと思いしらされてしまいます」
「シャコちゃん、ありがとう。お兄さんと違ってやさしいね。姿かたちはそっくりなのにどうしてこう性格は違うんでしょ」トリノは崩れていたバランスを立て直して、シャコに正対する。「おひさしぶりだよね。内地は楽しめたのかな?」
「それなりに、です。まあお察しくださいまし」シャコはそれからと付け加える。「兄は基本的にやさしいです。いまのは照れくさかっただけだと判断すればよろしいかと」
「そっかあ」トリノは正面のシャコと脇に逃げて知らん顔を決め込んでいるトウヒを交互に見る。「それなりにね、かあ。まあ内地ではいろいろあったんだろうとは思うんだけど、関わることを一切止めるわけにいかないしね。慣れて上手に付き合っていくしかないなあって思う。まあ私にできることがあるんなら何でも言ってね。おねーさんにおまかせだよ」 トリノはシャコの水面下の意識を推察して、自分なりにフォローを入れた。
 そして初対面の女性に対して挨拶する。
「初めまして、トトリベさん。長旅おつかれさまです。トトシャケ組頭のミイケダイトリノです。シンさんからお話はお伺いしておりますので、私たちトトシャケはできる限りの便宜を図らせていただきます。心身ともにリフレッシュされること、また素敵な写真集が制作できること、心から願っております。ご覧の通りへんぴな田舎の島ですが、どうかごゆっくりなさってください。夕食は不肖私の手作りとなりますが、雷山小過名物であるライライコウトクスセリウオの蒲焼を、どうか心ゆくまでご賞味ください」
「こちらこそ初めましてです。ヒムロユウの付き人のトトリベトバコです。一見しただけですが、雷山小過島は自然に恵まれた素敵な島だとお見受けいたします。また航海の途中、トウヒさんシャコさんには大変お世話になりました。おふたりと行動を共にすることにより、トトシャケさんの舞組としての意識の高さと任務遂行力に感嘆いたしました。しばらくの間お世話になりますが、なにとぞよろしくお願い申しあげます」
 事前情報が行きわたっていたからだろうか。それともトリノ自身が細かいことを気にしない性格だからなのだろうか。こともあろうかトリノはトバコに対して握手を求めた。六月中旬の南の島なのに、スキーウェアの出で立ちをしている訪問客の、ミトン手袋にだ。
 トウヒとシャコは先ほどから遠巻きに大人っぽい社交辞令だね大人になるのは簡単ではありません長く苦しい茨の道を歩んでいかねばならないのですねとかひそひそ話をしつつ、ことの成りゆきを見守っていた。
 当の本人のトバコは特に悩むこともなく、すうっと右手のミトン手袋を脱いでから、差しだされたトリノの右手と握手した。
 しばらく続いた社交辞令合戦ののち、言葉をかけるタイミングを見計らっていたトウヒが質問する。
「トリ姉、ところでケイジロウは? 一緒に来るんじゃなかったっけ」
 トリノからのメールでも、その弟のケイジロウ本人からのメールでも、ミイケダイ姉弟は自習中の学校を抜け出して、トウヒとシャコとトバコを出迎えに来る予定になっていた。しかし、いま現在船着き場を出てすぐ、雷山小過の沿岸部の開けたこの場に、ケイジロウは居ない。
「あのね、トウくん。ケイジロウは薄情なの。おさななじみの友情よりも、ジャーナリスト魂を優先させたのよ。興味が湧いたものには鉄砲の弾みたいに一直線に飛んでいっちゃうの。本当にもう困ったものだわ」
 すらりとした身体に細長い顔、切れ長な瞳のトリノが哀愁を漂わせると、周りの者からの同情を一身に集められるほど、絵になってしまう。
 トウヒは一瞬、息を飲んだ。
 清楚そのものが体現したトリノの容姿は、悲劇をまとうほうが似合うのだが、本人が割とさばさばしているので、その光景はめったと見られない。役割的にも他者の慰みを受けるのではなく、生徒会長と委員長を兼任し、さらに舞組トトシャケの組頭を務めるといった典型的な世話好きタイプであるので、それも致し方ないといえよう。
「ケイジロウはどこへ行ったんですか?」
「西側の海岸線へ」トリノは遠い目をする。「謎の転校生を追って行ったの」
「それは青春のリビドーとしか思えません。ケイの字もそういうお年頃になったとはシャコも感慨深いです。トリノさん、それはジャーナリスト魂と称するよりもロマンス魂と呼んだほうが正解だといえましょう。思春期の弟を温かい目で見守ってあげてくださいまし」
「んーどうかなあ? シャコちゃん見解は私もちらりとは思ったけど、姉として見るにニュースネタを求める気持ちのほうが強いような気がするのね。確かに転校生はとっても美人さんだし、少しはそういうのあるかもって雰囲気もなくはないんだけど、やっぱりケイジロウはジャーナリスト志望の少年って感じなのよ」
「そうなんですか。残念。ちょっと訊きたいことがあったんだけどな」
 トウヒはスマホのアドレス帳から、ケイジロウの名を選んで通信を開始するのだが応答はなく、受話器から聞こえるのは繋がらない旨を告げる録音メッセージだけだった。