進化と次元と禁忌犯しゃ82・6%賭け 【第四章】六次元と二次元に一番近い島(3)

「たぶん電池切れだと思うの」トリノが身体のどこから出してるんだろうという甲高い声で言う。「私もさっきから何回か掛けてみたんだけど繋がらないのよねえ」
 トウヒはまた後でいいかあいや手遅れになっても困るとぶつぶつ呟きながら、腕を組んで考えはじめた。が、思考がまとまらない。
 集中できないトウヒは、シャコの不安そうな表情にどうしても意識が行ってしまう。
「ところで、シャコ。荷物まだ出てこないの?」
「はい、にいさま。キュウニィともども車両ケージの中です」
 シャコが失敗したなあという顔をする。
 トバコがあたしが余計なことを言ってしまったばっかりにとほぞをかむ。
 と言うのは水天需撮影後、シャコの撮影用重装備はトバコの提案により、キュウニィの積荷ラックにあるからだ。キュウニィは撮影機器であるが、車両並みの図体を持ち、自走するため、荷物運搬用としても十二分に役に立つ。カメラバッグと三脚バッグを重そうに担ぐシャコを見るに見かねたトバコは、キュウニィの積荷ラックにその重荷を移すことを勧めた。通常は船に積載された車両を、航行中に車両ケージから動かすことは禁止されているが、今回もめにもめたが一応は撮影器具である点も認められたキュウニィに関しては、特別に航行中も車両ケージから取りだして使用することが許可され、それに応じて取り出しやすい位置に格納されていた。つまり水天需撮影後、もし何か撮影したいものがあったとしても、シャコの撮影機材は簡単に取り出すことができたし、キュウニィに運搬させれば下船の際、シャコが楽になるだろうというトバコにしてみれば善意の提案だった。シャコ自身も今回撮りたかったのは水天需であり、他の被写体には特に興味もなかったため、その提案に賛同した。
 通常であれば特に問題もなく、シャコは下船とほぼ時を同じくして撮影器具を受けとれていたのだが、今回思いもしないエンジントラブルが発生してしまったため、マフツノカガミの電気系動力が著しく低下してしまい、車両ケージから車両を下船させるための動力が不足してしまったので、キュウニィは未だに車両ケージの中である。雷山小過の船着き場の給電装備は至極貧弱で、マフツノカガミの困窮した電力事情を速やかにサポートするには力不足だった。そのため、たった二台のハーフコンテナと、キュウニィを下船させるのに、予定された時刻を大幅に上回っているのが現状だった。
 島では手に入らない物資が積載されたハーフコンテナがとろとろと補助ガイドを進んでいくのを見ながら、シャコは自業自得ですので先見の明のなさを厳粛に受けとめますと猛省していた。トバコもバツが悪そうな表情を張り付かせたままだ。
「荷物が出るまでしばらく動けないんならさ。ぼくはケイジロウのところに行っとこうと思う。みんなどうかな?」
「にいさま、そんなに転校生に興味があるのですか?」
「トウくん、薄情。美少女三人見捨てるのっ」
 すかさず否定的な反応をしたシャコとトリノに比べてトバコはいささか冷静だった。
「平面カニのせいですか? 再集結しつつある感じですもんね」トバコが船着き場からすぐの防波堤回りを指さした。お皿みたいなオレンジ色のカニでいっぱいだ。「不勉強なので質問です。大量発生したら通行の邪魔になるってことと、殺したら精神を乗っ取られるかも知れないという伝承がある以外にも、何かヤバイことがあるのでしょうか?」
「うん。ぼくらはマンモスって呼んでるんだけどさ。大きい種になると自動車のタイヤくらいになるまでのが居るし、ノコギリって呼んでるのは電動ノコみたいに回転しながら進行方向にあるものを切断しちゃうし、ビリビリってのは電撃食らわしてくるし、カサカサってのは周りを干からびさせるし、アワアワってのはその辺のもの溶かしまくるし、他にも精神攻撃しかけたりするやつとか気をつけなきゃ身に危害が及ぶものは居るよ。そういう危険種が出てきたときにさ。ひとりぼっちだとどうしても対応策が限られてしまうからね。害のない安全種の平面カニでもさ。大量に湧けば身動きとれなくなって、にっちもさっちも行かなくなるし、その段階で危険種に遭遇したら逃げるのは大変なんだ。だから追い込まれるまでにペアを組んどいて、いつでも舞える体勢を整えといたほうがいいんじゃないかなってこと。ぼくがここに残ってトリ姉がケイジロウのところに行くよりも、ぼくが行ったほうが汎用性あるし」
 トバコとトウヒのやりとりを聞いて、トリノとシャコが周りを注視してみる。先ほどは姿かたちがまったく見えなかった平面カニたちが、少しずつだが海岸線を浸食しつつある。
「本当ですね。先ほどまで鳴りを潜めておりましたのに何故に」シャコが眉をひそめた。「そんなにがっついてどうなさるのでしょう。産卵期ではなかったはずですし、彼らの生態はとんとわかりません」
「きっとやんごとなき理由があるんだよ」トリノはあっけらかんと言う。「カニさんの世界はカニさんの世界で、人間の知る由もない複雑な事情が存在してるんじゃないのかな」
「そうなの? ぼくには個々のカニたちは何も考えてないようにしか見えないし、女王カニの都合なんじゃないのかなって思うけど」
「あたしはよそものなんでよくわかんないんですけど」前置きをしつつトウヒの推測に対してトバコが質問する。「その女王カニと話はできないのですか?」
 トウヒは首を振ってそもそも女王カニが居るのかどうかもわからないんだと回答した。
「不可解な平面カニの生態と行動から島の人々が邪推してるだけだからね。実際に女王カニが存在する確率は以前に舞ったことがあるんだけれど確か57、8%くらいだったはず。判断するには微妙な確率なんだけどさ。ぼくとシャコは実在するって思ってる」
「でも、どこに居るのか、どんな姿をしているのかがわかりませんので話の持ちかけようもございません」シャコがおどける。「浜辺にわらわらと上がってくる彼ら彼女らひとりひとりに対し、あなたが女王さまですかと問うてみるのも一興かと」
「まあそれは冗談としても平面カニが少しずつ増えてるのは事実だし、ぼくたちはいろいろと対策を立てなきゃならないよね」トウヒがトリノの顔を見る。「トリ姉さ。さっきはどうして平面カニが居なくなってしまったかわかる?」
「偶然?」
「わかんないか、やっぱ」
「ごめんなさい。じゃあトウくんはケイジロウのところに行ってあげて。私たち三人は船から荷物を受けとったらそのまま家に帰るから。カニさんのせいで、もしも大変なことになるようなら長老に相談しようよ。神鳥の守護を仰ぐか、調停を引き受ける人形が鎮座している塔、天水訟に登るかとかも考えなきゃだね」
 トリノの指示にトウヒは頷く。
「まあそこまでの覚悟が必要かどうかはさておき行ってくる。あっそうだ。トリ姉はケイジロウの臭いのついたものとかさ。いま持ってないかな?」
「トウくんは私が弟の使用済みトランクスを常時持ち歩いてるような痴女だと思ってらっしゃるのでしょうか?」
 トリノの目が怖かった。あとトウヒに対して敬語を使うのも妙に迫力がある。
「いや、そんなじゃなくってさ。キュウニィには臭い追跡機能もあるからさ。それ使えばケイジロウを追うの楽かなって思って。でもよく考えたらキュウニィは船の中じゃん。まあ、そんなのに頼らなくとも己の十感で探知してみせるよ。狭い島内どうとでもなるって。じゃあシャコ、家に帰ったらあれとあれしといてね。お願い」
 トウヒはそう言い残すと、島の西海岸を目指して駆けだした。

 雷山小過は島としては単純な構造だった。中央部に山岳、それを取り囲むように丘陵部が続き、円周部は平野で、端が海岸ときわめてシンプルだ。
 船着き場のある北海岸から、目的地の西海岸までの直接ルートはなかったので、トウヒは一度島の中央部を経由しなければならなかった。北海岸は中央部までの距離が一番短いため、トウヒの足なら船着き場からの砂利道を駆け上がって丘陵地帯を抜けるのはあっという間だった。すぐに島の中央部に達してしまう。
 雷山小過島の中央部、標高のそれほど高くない山の斜面の一角には、ずんぐりとした象牙色の円筒を五段重ねた建造物が、ひときわ大きな存在を放って建っていた。
 これが天水訟――島の最重要文化財たる高次元塔である。そしてその最上階から屋上に突き出た金属の尖塔部こそが、いまはオブジェクト化している調停を引き受ける人形そのものであった。
 この塔は代々工人の家系であるスズキ一族が、その匠の技術の粋を凝らして建立したものである。スズキの家系は過去、数多くの手先の器用な者を排出し、様々な建築物や加工品をそのあふれる才能で創成した。天水訟及び調停を引き受ける人形は、その中でも最高傑作の部類に属する。スズキ家の手先の器用さは現代でも健在で、当代ではシャコが色濃く受け継いでいた。もっともシャコの興味は塔のような建築物ではなく、もふもふカービングなのだが。
 トウヒは五十メートルある外周をぐるっと回ってみる。ケイジロウから報告を受けていた『転校生が施したであろう何らかの細工』を見つけようと試みたが、外見からは痕跡らしきものは見つけられても、何をしたかは皆目見当も付かなかった。絡み合う植物が意匠された中央観音扉口に手を掛けてみるが、鍵が掛かっていて中には入れない。ここの鍵は長老が管理していて、いまのトウヒには扉を開ける術がなかった。結局わかったのは四次元的になんらかの仕掛けが施されていて、それが巧妙にカモフラージュされていることだけだった。時間をかけて調べてみたいのは山々だったが、本格的な調査には長老からここの鍵を借り受けなければならないし、それだけの時間的余裕は現在のトウヒには与えられていない。彼としては、ここでの調査を後回しにするしかなかった。
 山岳地帯を抜けるとゆるやかな丘陵が始まる。
 ピクニックに適した原っぱがひろがる豊かな平野で、左手にはスズキ家の菜園があった。トウヒは一瞬迷った後、ルートを外れて菜園に向かい、入口に生えていたキュウリを一本もぎると再びルートに復帰した。その間にキュウリは三口ほどトウヒにかじられており、目的地に着くまでには、おそらく跡形もなく消え失せていることだろう。
丘陵部を下っていくトウヒの視界に映る海岸線は、ものの見事にオレンジ色に浸食されていた。こぶし大ほどのあまり害のない一般的な安全種の平面カニが主体であったが、その量の多さにトウヒは辟易していた。西海岸の砂浜のほぼ半分は埋め尽くされていたし、二次元しか知覚できないはずなのに岩山にも登り始めている。雷山小過近海にどれくらいの平面カニが巣くっているのかはわからないが、この調子で次から次へと湧いてこられると、そんなに広い島ではない雷山小過は、平面カニたちであふれてしまうのかもしれない。
 そう簡単に人は二次元生物に屈しはしないだろうとトウヒは考えていたが、対応を間違えると危機的状況に陥ってしまうことも十分あり得るので、彼の心の中は不安な気持ちに支配されていた。