進化と次元と禁忌犯しゃ82・6%賭け 【終章】82・6%(3)

「にいさま、お待たせ致しました。運命は正しき標に流れたり」
 トウヒの目の前に忽然と現れたシャコが、平静を装って参上のあいさつをした。
 濡れたキャミソールがいかにも寒そうで、黙って見ているには忍びない。トウヒは舞に使用したパーカーを妹に着せてあげた。だぶだぶのパーカーは細身のシャコには全然合っていなかったが、それでも彼女は嬉しそうにしている。くしゅんとくしゃみをひとつしたが、大丈夫ですと心配する兄を気遣うくらいには余裕があるようだ。
「いやはやトウヒくんには恐れ入ったよ」ユウが感嘆した。「熱心に想いを寄せてくれるひとがひとりやふたりじゃないのにね。それらをすべて否定して、結局因習に走るんだ。親の言うこと、島のしきたりを大事にし、チャレンジ精神を捨てて保守に回るんだ。びびりと蔑む気はいまは毛頭ないし、そこまで貫くのなら驚嘆に値するし、尊敬する。君たちの未来に幸あれって願うよ」
 ユウの言葉にトウヒは簡潔に答えた。
「いや、結局のところ、ぼくは本当にシャコが好きだったんだなってことだけですから。他に意味はありません」
 シャコはさも当然といった顔つきでトウヒの隣にたたずんでいる。容姿がよく似ている兄妹なので、こういうときの絵面はいい。
「そうかい。じゃあゲームの勝利者の特権を思う存分享受してね。時刻もちょうど十二時になったし、お遊びはこれではいお終い。お開きだね。参加者の方々おつかれさまでしたーっ……って脱落しちゃった人のほうが多いんだけどね。まあ脱落者の方々はもうちょっとしたら戻って来れるだろうし、そこまではホスト役として見届けさせてもらうよ。それに調停を引き受ける人形が動くところは、是非とも拝見しておきたいからね。それが終わったら今日のところはボクの負けだし、大人しく引き下がることにするよ」ユウは、にたっと笑った。「出撃まで結婚行進曲でも歌ってあげようか?」
「せっかくのお申し出ですが、遠慮しておきます。実際の結婚式まで取っておきたいですから、そのときに改めてお願いできますか?」
「それは約束できないよ。だってそれまでにボクはふたりのことに茶々入れたくなっちゃうかも知れないから。ボクが引き下がるのは今日だけだもん」
「82・6%」シャコの糸目がおそらく微笑んでいる。表情が微妙なので真意を読みとりにくい。「にいさまとシャコが添い遂げる確率です。にいさまは十分だと仰いますが、シャコには不十分に思えます。ユウさんがどう思われるかは御心のままに」
 ユウとトウヒはしばらく談笑を続けた。そして互いの命運を祈った。

 調停を引き受ける人形の中心部、昨年積み替えられた最新鋭の漁船用ディーゼルエンジンに火が点り、ロングストロークの六本のシリンダーが軽快に回転し始める。それに従い、各パーツが次々と活性化していく。細かく折りたたまれたディバイダのような金属の角柱が、元の長さへと展開されていった。天水訟中央部のオブジェクトは、本来の姿である機械人形へと変貌を遂げる。目も鼻もなく、顔ですらない金属の突起が頭部で、錐のような鋭利な先端部が手で、球体関節式となっている可動域を二箇所持つ四本の金属棒が腕部で、トウヒとシャコが着席した双座の運転席を収納した、骨のようなフレームにリベット接合で溶接された装甲板で囲まれた部分が胴部で、スプリングで補強された三本のフレキシブルな金属柱が脚部で、底部にゴムが付いた石突が足であるため、人間の姿にはほど遠いのだが、制作者及びその他関係者が人型だと認めているので、これはやはり機械人形なのだ。制作者から与えられた名前は、調停を引き受ける人形。過去四回だけ起動し、そのいずれもが記録から消去された存在が、黒歴史を乗り越え五回目の活動を開始した。
「結局のところさ。調停を引き受ける人形ってネーミングはおかしいよね」
「本来は『人間の勝手な都合でものごとの調停を押しつけられた人形さま』とでも呼ぶべきでしょうに」
「さてと。話し合いに行こうか。圧倒的な腕力をちらつかせながらね」機械人形の狭い操作室の中で、窮屈そうなトウヒは閉塞感のせいだけではなく、沈鬱極まりなかった。「拳で語り合うのはどうかとも思うけど、結局世の中こうなんだよね。なんかままならないよ」
「それは言ってもしかたがありません。だから人はちからを求めるものですし、にいさまも調停を引き受ける人形を求めたのはそういうことなのでは」
「違いないね。それじゃあ、出発しようか。なるたけ手荒なことはしたくないから、ぼくたちの意思が上手く水天需に通じるといいよね」
「他の誰でもなく、雷山小過でもっとも水天需さまを敬愛するシャコがついております。きっと平和裏に事は運びましょう。にいさまには、いまここにシャコが居ることをもっと幸運に思い、運命に感謝を感じていただきとうございます」
「うん。シャコで良かった。あっ、意識が混濁し始めてるね。シャコの意識との境界線が薄れていくような感じ」
「にいさまとひとつになれてシャコは感極まっております」
 調停を引き受ける人形は六次元構造体で、トウヒやシャコのような五次元人に比べて高次の存在である。その中に内包され、六次元の高見へと意識が昇華された兄妹は、感覚を共有すると共に、五次元の身体に閉じ込められていた意識が開放された。これで調停を引き受ける人形はふたりの意のままに動く。
 補助のスプリングの助力を受けて三本の金属柱が伸び上がった。中央最長部の突端まで十七メートル。錆止めのメッキを施された巨体が、月齢十三、九日の月光を全身に受ける。
 ただひとりの観客であるユウからほおという賞賛の声が上がった。
「やっぱすごいよねえ。粋でも何でもない単なる無骨なデザインなのに、なんて神々しいんだろう。芸術とはとんと縁がなさそうな造形だけど、得体の知れない趣きがあっていいよねえ。あーあ、やっぱりボクが乗りたかったな。次は負けないよ、シャコちゃん。覚悟しといて」
 ユウの言葉が聞こえていたのか聞こえていなかったのかはわからないが、調停を引き受ける人形は、四本の腕を振った後、天水訟から飛び上がった。
 調停を引き受ける人形には飛行能力はない。錐の腕を八十度に曲げた五次元フックを天水訟周辺部の五次元障壁に引っかけて、塔の周りを螺旋状に周り、三次元重力を減衰しつつ降下していく。落下時の衝撃は三脚とスプリングで緩和させた。余剰分は石突が赤土を掘り起こし、周りにぶちまけることで、事なきを得る。トウヒとシャコは任務完了後、戻ってきて整地しなければならないというプレッシャーを感じつつも、調停を引き受ける人形を跳びはねさせた。
 多くの赤土と少しのチェルノーゼムをまき散らすと共に、人を不快にさせる軋んだ金属音をまわりに轟かせ、安眠していた昼行性の野生動物たちを叩き起こしながら、調停を引き受ける人形は、八回くらいのジャンプの末、水天需の巣のある金襴双樹がそびえ立ち、風鈴草の生い茂る草原に到達した。
 もちろん水天需も調停を引き受ける人形の騒がしい騎行により、叩き起こされた昼行性の野生動物の一員だ。金襴双樹の前で、平面カニたちや放牧されている山羊たちの中、異彩な貫禄を放ちつつ、たいそう不機嫌そうな様相をしている。
 金襴双樹は亜熱帯雨林に分布する常緑高木だ。非常に大きくなる種で、最大のものでは幹高二百メートルに達するものもある。幹から出る特殊な樹液がまるで金箔のように自身を装飾しているので、この名を冠している。雷山小過で金襴双樹が生えているのは島南部の風鈴草のただ中だけだ。風鈴草は釣り鐘型の花冠が硬質化していて、同様に硬質化した花弁が風のたなびきにより揺れることで打ち合うことにより、独特の情緒ある響きを周りに聴かせるが故に名付けられた草で、内地では見られない。その風鈴草の白で埋め尽くされた中、幹高百二十メートルを誇る雷山小過最大の樹木である金襴双樹が、その巨体の存在感を遺憾なく周囲に発揮していた。
 多大な違和感を示したのはシャコだった。水天需フリークたる彼女は、地上七十メートルほどの、金襴双樹の幹が大きく二又に分かれているところに営巣してある巣から、水天需の雌がほぼ離れることがないことを知っている。それがいかに調停を引き受ける人形が騒々しく登場したとしても、抱卵という子孫継承のための大切な儀を放置してまでも、なぜ地上に居るのだろうか。その疑問を解決すべく、すべての感覚と知識を総動員させる。
「にいさま。水天需さまの行動が不可解です。話し合う前に原因を追及せねばなりません」
「なるほどね。最初は調停を引き受ける人形の異質さに戸惑ってるのかなあって思ったよ。だってさ。ぼくたちは見慣れているけど、この姿は普通の生物とか、普通の人工的な乗り物に比べれば、異形としかいいようがないし」トウヒは正面コンソールを視界に収めつつ、横目で隣のシャコを見る。「でもそうじゃないんだね。いまはシャコの考えていることがよくわかる」
「はい、にいさま」シャコは電磁気力の探知機とニュートリノシーカーのパネルを睨みながら叫ぶ。「巣が、水天需さまの巣がずれ落ちかかっています。水天需さまが地上に降りているのは、自重で巣が地上に落ちないようにするための防護策なのではないかと」
「うん、わかった。でもどうしてこんなことになったんだろう。あっそうか。風鈴草の実を食べに来ていたヨロイナマケモノの群れが、平面カニの大発生に巻き込まれて、慌てて金襴双樹に登っちゃったんだ」
 トウヒは眼前に広がる細かいガラス粉が塗布された白いスクリーンに映し出されている映像の中から、金襴双樹の二又が映っている枠を選んで拡大させた。二又に分かれた南西側に伸びた幹に、大量のヨロイナマケモノがぶらさがっている。いかに幹高百二十メートルの大木であろうが、数百のヨロイナマケモノを抱えこめば、その太い幹とて軋みもすればたわみもする。さすがに折れはしないがその幹を大きく傾き、そのせいで樹上にこしらえられた水天需の巣が、いますぐ落ちてしまってもおかしくないくらいに、危ういバランスで耐えている。
「ずれた巣は戻せないの?」
「ひとりじゃ無理です。両側から支えて戻さなければなりませんので。水天需さまの殿方がいらっしゃれば簡単なのですが、あいにくと旦那様は内地の太平洋沿岸部です」
「ねえ、シャコ。ぼくが何考えてるかわかる?」
「もちろんです。にいさま。シャコの気持ちも同じです」
「七十メートルか。登れるよね?」
「ジャンプ一発は無理ですので、途中まで跳んでそこからはよじ登っていくしかないのですが、調停を引き受ける人形でしたら可能かと」
「じゃあ決まりだね。水天需にぼくたちの意図を伝えなきゃ」
「はい、にいさま」
 結論を出した兄妹は、水天需と調停を引き受ける人形で、ずれた巣を元に戻すミッションを開始した。言葉は通じないし、生態も道徳もまったく違う種族であり、先ほど島民の願いが届かなかった相手だが、トウヒもシャコも自分たちの意思が伝わらないとは微塵とも思っていなかった。なぜならば金襴双樹の巣の中の卵は、トウヒとシャコにとって自分たちそのものであり、水天需のつがいにもまた、自分たちの姿を重ね合わせていたからだ。つがいとして宿命づけられた種族と話が通じないわけがない。周りより高次元に進化してしまった兄妹同士なのだから、きっとわかりあえる。そう確信していた。
 調停を引き受ける人形がトウヒとシャコの意思を受け、四本の腕を天高く上げ、三脚をバランス良く動かし、ゆっくりと不機嫌そうな水天需に近づいていった。
 その途中、トウヒは二次元平面上の平行線は確かに交わらないが、三次元空間から見れば同じ面なんだということに気づき、なんだか自分がバカみたいで思わず笑ってしまった。
 シャコは唐突に笑ったトウヒの顔を不思議そうにのぞき込んだが、すぐにその意味を理解して、彼の手を強く握る。どこへも行かないように願いを込めて。
「頑張ろうな、シャコ」
「はい、にいさま」
 六次元人形内の五次元人が、五次元鳥と真の友好関係を築く歴史的瞬間であった。(了